去る平成28年9月2日午後2時より、東京地裁に提起されていた安保法制違憲国家賠償訴訟の第1回口頭弁論期日が開かれました。
開廷前には、門前集会が開かれ、弁護士から、本訴訟の内容、意義、全国での提訴状況について説明があった後、法廷で意見陳述をする予定の原告の方や傍聴に来ていた憲法学者の方など5名ほどのスピーチがありました。
その後、入廷の行進があり、裁判所内へ。
法廷は、東京地裁でも一番広い103号法廷。
法廷のバーの中に代理人弁護士20名、原告代表の方々30名が入廷したほか、マスコミ席(8席)を除いて90席用意されていた傍聴席も、抽選手続を経て、原告及び市民の方々で埋め尽くされたそうです。
(なお、傍聴券を求めて並んでいた方は、約160名いらっしゃったとのことです。)
相手方は、法務省、防衛省、内閣官房などから16名が出席しました。
期日では、代理人弁護士5名と原告代表5名による意見陳述がなされ、我らが長崎弁護団からも、中鋪美香弁護士が代表して意見陳述を行いました。
東京大空襲の被災者の方が意見陳述された際、感極まって言葉を詰まらせる場面がありましたが、出席した中鋪弁護士の印象では、裁判長は、陳述者の方を見て、よく聞いておられたとのことです。
なお、中鋪弁護士の意見陳述の内容は、本記事の一番最後に掲載しているとおりです。
全意見陳述内容をご覧になりたい方は、こちらをクリックして下さい。
その後、今後の進行につき協議が行われ、第一回口頭弁論期日は終了しましたが、次回期日は12月2日(月)午前10時30分と指定されたとのことです。
口頭弁論後には、司法記者クラブにて、共同記者会見が行われました。
この会見において、東京弁護団の一員である伊藤真弁護士は、
「国側は速やかに弁論終結されたい、との主張をしている。しかし、裁判所は、第2回の口頭弁論期日を設定し、原告側に主張の提出を求めている。これは、裁判所が、門前払いではなく、実体審理をしようとしているということである。」
との感想を述べました。
会見が一通り済んだ後も、寺井一弘弁護士が、記者からの個別の質問に答えました。
また、会見後には、参議院会館で報告集会が行われましたが、100名以上の方が参加し、立ち見が出るほどの盛況ぶりでした。
報告集会では、期日の詳細な内容報告がなされたほか、今後の裁判についての説明等も行われました。
その中で、今回、期日が行われた103号法廷は、社会が注目している事件が行われる一番大きな部屋であるが、傍聴人が少なくなっていけば、次第に、別の中法廷を指定されるようになるため、できるだけ、傍聴券を毎回交付させるようにし、大法廷での期日開催を維持したいとのお話もありました。
最後に、会場から質問や意見が述べられ、午後6時10分、報告会が終了し、長かった一日が終わりました。
参加した中鋪弁護士は、東京では、原告も、原告でない支援者も、問題意識を持って本訴訟に積極的に取り組んでいる市民が多い一方、報道関係者はやや控えめであるとの感想をもったそうです。
長崎でも、じきに第一回口頭弁論期日が指定されることと思います。
東京訴訟に負けない勢いで盛り上げていきましょう!
************************* 中鋪美香弁護士の意見陳述の内容 ****************************
私は,本件訴訟の代理人の一人である弁護士です。また,現在,長崎で提起されている新安保法制違憲国賠訴訟の弁護団の一人でもあります。
本訴訟の原告には,被爆者の方々がいらっしゃいます。また,長崎で提起した訴訟の原告は,その多くが被爆者です。
これまで,被爆地長崎において被爆関連訴訟に携わり,原爆を体験した者たちの,戦争に対する思いを知る者として,この機会に意見を述べさせて頂きます。
今から71年前の1945年8月9日,長崎へ投下された原子爆弾は,その強烈な熱線と爆風,強い放射線により,7万人もの命を一瞬で奪い去りました。
熱線や爆風,初期の強い放射線を免れ,火の海を彷徨い,なんとか生き延びた者たちも,原子爆弾特有の残留放射能の影響により,その後,次々と命を奪われていきました。
放射線は,人の細胞の遺伝子レベルにまで作用し,戦争が終わった後も,被爆者に,がんや白血病等,様々な病気をもたらしました。さらに,放射線の遺伝的な影響により,被爆者だけにとどまらず,その子や孫までもが,健康不安に脅かされています。原子爆弾の放射線は,71年経った今でも,被爆者たちを苦しめ続けているのです。
この原子爆弾による非人道的な被害について,政府は,昭和32年の原爆医療法制定以来、法令の改正を重ねながら、被爆者援護施策を実施してきました。
現在,「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」,いわゆる「被爆者援護法」により,被爆者に対する医療や福祉等の援護が実施されています。
その被爆者援護法の前文には,次のような言葉が宣明されています。
「昭和二十年八月、広島市及び長崎市に投下された原子爆弾という比類のない破壊兵器は、幾多の尊い生命を一瞬にして奪ったのみならず、たとい一命をとりとめた被爆者にも、生涯いやすことのできない傷跡と後遺症を残し、不安の中での生活をもたらした。…
…我らは、再びこのような惨禍が繰り返されることがないようにとの固い決意の下、世界唯一の原子爆弾の被爆国として、核兵器の究極的廃絶と世界の恒久平和の確立を全世界に訴え続けてきた。
ここに、被爆後五十年のときを迎えるに当たり、我らは、核兵器の究極的廃絶に向けての決意を新たにし、原子爆弾の惨禍が繰り返されることのないよう、恒久の平和を念願するとともに,国の責任において,…被爆者に対する…総合的な援護対策を講じ,あわせて,国として原子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記するため,この法律を制定する。」
しかし,この崇高な決意とは裏腹に,政府は,再び戦争を可能にするような安保法制を推し進めています。
政府の進める安保法制は,他国の戦争に巻き込まれるリスクや不安を伴うものであり,憲法および被爆者援護法がその前文で謳う,「恒久の平和」とは相容れないものです。
長崎・広島で原爆を体験した被爆者たちは,原爆投下によって地獄のような光景を目の当たりにし,その後も,放射線の影響による健康被害や健康不安を抱え,戦後71年経った今でも,なお癒えぬ心身の苦痛とともに生活しています。
今回,新安保法制法が制定されたことによって,被爆者たちは,かつての地獄を思い出し,再び原爆被害に遭うのではないか,子供や孫までもが自分と同じ目に遭うのではないかと,強い不安や恐怖を感じています。
さらに,被爆者たちは,悲惨な戦争を体験したことで,憲法が定める平和主義を何よりも尊重し,その平和主義の実現を心から望んでいます。そのため,政府・与党が,自分たちの意に反し,憲法の掲げる平和主義に反する新安保法制法を強行的に制定したことにより,耐えがたい苦痛を感じています。
新安保法制法の制定は,こうした,被爆者たちの人格権,平和的生存権,憲法決定権といった人権を侵害する行為なのです。
長崎原爆の被爆者をはじめ,全国で新安保法制違憲国賠訴訟の原告となっている者たちは,裁判所に対し,平和主義実現への一縷の望みを託しています。裁判所が,憲法に保障された人権を守る最後の砦となることを願って,私の意見陳述とさせていただきます。
以上